東京高等裁判所 平成10年(行ケ)110号 判決 1998年11月26日
東京都港区西新橋1丁目17番13号
原告
産機興業株式会社
代表者代表取締役
橋本文二男
訴訟代理人弁理士
橋本克彦
愛知県丹羽郡扶桑町大字柏森字前屋敷10番地
被告
日本デコラックス株式会社
代表者代表取締役
木村三千夫
訴訟代理人弁理士
小田治親
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
「特許庁が平成7年審判第10195号事件について平成10年2月25日にした審決を取り消す。」との判決
2 被告
請求棄却の判決
第2 事案の概要
1 特許庁における手続の経緯
被告は、登録第2680790号商標(昭和56年3月3日商標登録出願、平成6年6月29日設定登録。本件商標)の商標権者である。本件商標は、「ケミカルアンカー」の片仮名文字を横書きして成り、第7類「樹脂・硬化促進剤及び骨材等を管状レジンカプセルに充填して成る建築用構築用専用接着材」を指定商品とする。原告は、平成7年5月2日、商標法46条1項1号に基づき本件商標の登録を無効とするとの審決を求め、平成7年審判10195号事件として審理されたが、平成10年2月25日「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は平成10年3月18日原告に送達された。
2 審決の理由の要点
2-1 原告(請求人)は、本件審判請求の理由を次のように述べ、証拠方法として審判甲第1号証ないし甲第11号証(審判甲第3号証及び甲第4号証は欠号。本訴甲第2、第3号証、第6ないし第12号証)を提出した。
(1) 原告は、本件商標と連合商標の関係にある登録第1293601号商標に係る商標権(商標「ケミカルアンカー」。指定商品「第7類 ゴム製建築または構築専用材料、石こう製建築または構築用材料、石灰製建築または構築専用材料、しっくい、パテ、建造物組立セット」)に基づく商標使用禁止等請求事件の被告(控訴人)であり、本件商標が連合商標として登録された事実が控訴理由となっている(審判甲第8、第9号証。本訴甲9、第10号証)。
(2) 本件商標の「ケミカルアンカー」なる語は、本件商標の登録審決前に発行された「建築学用語辞典(日本建築学会編)」に、「=樹脂アンカー(後施工アンカーの一種。コンクリートに穴を開け接着剤によりボルトを定着する形式のアンカー。接着剤にはエポキシ系とポリステル系とがある。)」と記載されている(審判甲第5号証。本訴甲第6号証)。したがって、本件商標「ケミカルアンカー」は、その登録審決時において、「樹脂アンカー」を示す一般名称として使用されていることは明白であり、商標法3条1項1号に該当する。
(3) また、本件商標の「ケミカルアンカー」なる語は、本件商標の登録審決前に発行された「建築カタカナ語・略語辞典(建築慣用語研究会編)」に「石やコンクリートにボルトなどを固定する方法。ドリルで穴をあけ、鉄筋やボルトを挿入して樹脂系接着剤で固める。」と記載されているように(審判甲第6号証。本訴甲第7号証)、特定種類に属する商品について慣用的に使用されているものであり、商標法3条1項2号に該当する。
刊行物に掲載されることは、商標が普通名称や慣用商標であることを示す一つの証拠であり、殊に、上記の辞典(審判甲第5及び第6号証。本訴甲第6及び第7号証)は、いずれも一般取引者ではなく専門の取引者を対象とした専門書であり、これは、建築業界においても普通名称又は慣用商標と認識されていることを証する。
(4) さらに、本件商標「ケミカルアンカー」は、片仮名7文字という冗長な商標であるばかりか、語意から、英語の「ケミカル」と「アンカー」とを単に結合したものであることは明白である。ここで、英語の「ケミカル(chemical)」は「化学の、化学的、化学作用」の意を有し、英語の「アンカー(anchor)」は「錨、止まる」の意なので(審判甲第7号証。本訴甲第8号証)、「ケミカルアンカー」の語は、例えば「化学的作用を利用した定着具」の意であり、商標法3条1項2号に該当しないとしても、同法3条1項6号に該当する。このことは、被告が、審査においてされた「本願商標は、同法3条1項6号及び同法4条1項16号に該当する。」旨の拒絶理由通知に対して、指定商品を「樹脂・硬化促進剤及び骨材等を管状レジンカプセルに充填してなる建築用構築用専用接着材」に減縮補正して同法4条1項16号に該当する拒絶理由を解消した経過からも明らかである。
なお、同法3条1項6号に該当したものが使用の事実により識別力が生じるに至り同号に該当しなくなる場合もある。しかしながら、その場合の使用はその商標登録出願に係る指定商品と同一の商品に限られ、また正当な使用であることが前提とされる。ところが、被告が、本件商標に係る出願の拒絶査定に対する不服の審判(昭和61年審判第9263号)において提出した、識別力を有することを証するための資料(審判甲第11号証。本訴甲第12号証)に掲載されている商品のほとんどは、「管状レジンカプセル」についてのものではなく「管状ガラスプセル」についてのものであり、本件商標に係る指定商品と同一のものではない。本件商標は指定商品と類似の商品についての使用の事実により発生した自他商品識別力を主張して同法3条1項6号の拒絶理由を解消したものであり、本来は同号の適用を免れることができない。さらに、これらの商品に使用されている「ケミカルアンカー」の語が、商標登録第1293601号に係る登録商標である旨の虚偽の表示がされている(審判甲第10、第11号証。本訴甲第11、第12号証)。したがって、これらの使用を根拠に、本件商標が、同法3条1項6号に該当しないとした登録審決は適正ではない。
(5) 本件商標に係る指定商品の「建築用構築用専用接着材」という商品は実在せず不明確であること、また、通常接着するための材料は「接着剤」と呼ばれており、構築用のものは「建築用構築用専用接着剤」と称されるのが一般的であることなどの点から考えると、本件商標の指定商品は、「カプセル型の建築構築用の専用接着剤」そのものであり、たとえ、カプセルに充填したとしても、商標法上の商品は接着剤であって、本来、商品の区分第1類に出願すべきものである。また、「アンカー」の語からは「定着具」という商品以外は連想できない。
したがって、本件商標である「ケミカルアンカー」なる語は、その指定商品について使用すると、その商品が現実に有する品質と異なるものであるかのように世人をして誤認させるおそれがある。なお、「化学的作用を利用した定着具」が建築・構築専用の接着材(接着剤)とは同一の需要者において使用される場合があり、本件商標の使用が商品の特性について取引上誤認を生じさせる関係にあることはいうまでもない。よって、本件商標は商標法4条1項16号に該当する。
(6) 以上のとおり、本件商標は商標法3条1項1号、2号又は6号及び同法4条1項16号に該当するものであるから、同法46条1項1号により無効とされるものである。
2-2 審判において被告(被請求人)は次のように述べ、証拠方法として審判乙第1ないし第7号証(本訴甲第13ないし第19号証)を提出した。
(1) 普通名称に該当するか否かは、取引者間において商品の一般名称として意識されているか否かの問題であり、刊行物に掲載されている事実とは無関係である。原告は、本件商標が取引者間において現実に商品の普通名称として使用されている事実を何ら立証していない。仮に、一部の消費者が一般的名称であると認識したとしても、それのみによっては普通名称ということはできない。なぜならば、登録商標が著名となり、しかも、日常それに接している者がその商標によって商品を購入することが多くなると、商品の普通名称であるかのような誤解を生ずることがあるからである。このような誤解は、新聞、雑誌、辞典などの刊行物の記事として表れることから、かかる事実と普通名称の判断とは明確に区別されるべきである。
もっとも、辞典等に掲載されることは普通名称化の危険を孕んでいることから、被告は原告の指摘した辞典類の編集者に善処を要請しており、当該編集者から善処する旨の回答(案)も得ている(審判乙第6号証。本訴甲第18号証)。
したがって、本件商標が商標法3条1頃1号に該当するとの主張には理由がない。
(2) 慣用商標は、もともとは商標としての識別力を有していたものが、同種の商品について同業者によって慣用的に使用されたために自他商品の識別力を喪失するに至ったものをいうが、本件商標がそうであるという事実は何ら立証されていない。また、他の同業者は、同種商品について、本件商標以外の商標を使用している(審判乙第7号証。本訴甲第19号証)。
したがって、本件商標が商標法3条1項2号に該当するとの主張には根拠がない。
(3) 被告が、審査において指定商品を「樹脂・硬化促進剤及び骨材等を管状レジンカプセルに充填してなる建築用構築用専用接着材」に減縮補正したのは、商標法4条1項16号の拒絶の理由を解消するためであり、この補正をしたことと同法3条1項6号とが直接に結びつくものではないことは、両規定の趣旨が異なることから当然である。
また、被告は、本件商標に係る出願の拒絶査定に対して不服の審判(昭和61年審判第9263号)を請求したところ、「請求の理由あり」として登録審決がなされたことは、本件商標は、同法3条1項6号に該当しない旨の被告の主張が認められたことを意味する。
被告の商標「ケミカルアンカー」は、ガラス管やプラスックチューブに充填した種々のタイプの商品を区別することなく、これらの商品の総称として使用されているものである(審判甲第10号証。本訴甲第11号証)。
なお、本件商標についての被告の使用実績については、上記した本件商標に係る出願の拒絶査定に対する不服審判における昭和62年8月20日付け提出の審判請求理由補充書の記載内容(同理由補充書中で言及する昭和58年12月22日付け提出の上申書の記載内容を含む。)を、本件審判でも主張する。
(4) 本件商標に係る指定商品は、「樹脂・硬化促進剤及び骨材を管状レジンカプセルに充填してなる建築用構築用専用接着材」であり、決して「接着剤」ではない。「接着剤」であれば第1類に属することも考えられるが、「接着材」でありしかも「建築用構築用」のものであることから、当該商品が商品区分の第7類に属するのは当然である。本件商標に係る指定商品が第7類に属する商品であることは、名古屋高等裁判所の判決で示されている(審判乙第4号証。本訴甲第16号証)。
以上のとおりであるから、本件商標を当該商品に使用しても何ら需要者等は商品の品質について誤認を生ずることはなく、本件商標は商標法4条1項16号に該当するものではない。
(5) 以上述べたように、原告の主張は、何ら証拠に裏付けられたものではなく根拠がないばかりか、それが否定されるべきことは、名古屋高等裁判所が被控訴人たる被告の主張を全面的に認める判断をしていることからも明らかであり(審判乙第4号証。本訴甲第16号証)、本件商標は、商標法3条1項1号、2号、6号及び同法4条1項16号のいずれにも該当するものではなく、同法46条に規定する無効理由を有するものではない。
2-3 審決の判断(原告が主張する取消事由との対比の便宜上、段落ごとに(1)等の項目番号を付する。)
(1) まず、被告は、本件商標に係る出願の拒絶査定に対する不服審判請求事件(昭和61年審判第9263号)において、被告が昭和62年8月20日に提出した審判請求理由補充書(本訴甲第3号証参照)の記載内容を、同理由補充書に添付の書証(第1号ないし第6号証)及び同理由補充書の中で言及している昭和58年12月22日に被告が提出した上申書に添付の資料(資料1ないし233。以下「資料」とあるのはその趣旨である。本訴甲第2号証参照)に基づいて、本件審判でも重ねて主張しているところ、これによれば、次のような事実が認められる。
(2) すなわち、被告が「ケミカルアンカー」の語を指定商品について商標として、昭和44年ころから全国各地で使用してきた事実が、同業者、販売者、需要者等によってその旨述べられた書面(資料1ないし172)、当該商品のパンフレット類(資料173ないし187)、当該商品の写真(資料189)、名刺等に付すステッカー(資料190)、昭和60年及び同61年に各種業界新聞に掲載された当該商品の紹介記事・宣伝広告(第5号証の1ないし第5号証の15(前記拒絶査定に対する不服審判請求事件で被告が提出した証拠方法。本訴甲第12号証に添付))等によって認められ、また、「ケミカルアンカー」と称する商品が、被告によって扱われてきた事実も、「ケミカルアンカー」と明記された取引伝票様式(資料188)、当該商品の施工技術講習会を開催したことを示す資料(資料191)、売上の金額・数量や広告宣伝費を示した書面(資料192、第1号証(前記第5号証と同様に被告が提出したものであり、本訴甲第12号証に添付))、当該商品を扱う被告の代理店が全国に存することを示す名簿(資料193)によって認められる。
(3) さらに「ケミカルアンカー」の語は、被告の指定商品についての商標としてのみ使用されており、被告以外の同業者は、原告を除き、商標としても商品名としても使用していないことが、昭和45年以降同58年までの定期刊行物(資料194ないし203)、同業他社の同種商品のパンフレット(資料204ないし211)、接着系アンカーのメーカー・商品名一欄表(第3号証及び第4号証(前記第5号証と同様被告が提出したものであり、本訴甲第12号証に添付))、接着系アンカーの全国シェア一覧表(第2号証(前記第5号証と同様被告が提出したものであり、本訴甲第12号証に添付))等によって認められる。一時、同業の他社数社が、同種商品についての商標の一部に本件商標を使用していたこともあったが、被告の申入れにより、これらの同業者は、いずれも本件商標の使用を止め、使用商標を変更したという事実も認められる(資料212ないし223)。
(4) 以上のように、被告が本件商標を指定商品について永年広範囲にわたる地域で使用してきた事実、被告の適切な商標管理に基づいて同業者は同種商品について本件商標とは異なる商標を使用してきている事実(今日でも、この事実に変わりがないことは、被告提出の審判乙第7号証(本訴甲第19号証)「あと施行アンカーのABC」(社団法日本建築あと施行アンカー協会発行、39頁「商品名一覧表 接着系アンカー」)からも明らかである。)を総合勘案すると、本件商標は、登録審決時には、被告の指定商品を指すものとして取引者・需要者間に広く認識されており、自他商品識別標識としての機能を発揮しているものというべきであり、同業者間で、指定商品についての一般名称として使用されている事実、又は指定商品を示す表示として慣用的に使用されているという事実も見いだし得ない。
(5) なお、原告は、本件商標の「ケミカルアンカー」なる語が、本件商標の登録審決前に発行された一部の辞典に掲載されていることをもって、本件商標が普通名称や慣用商標であると主張するが、上記したような本件商標についての被告の使用実績及び同種商品についての取引業界における商標及び商品名の実際の使用状況に加えて、上記の辞典についても、「建築学用語辞典(日本建築学会編)」については、被告による善処の要請に対して、同辞典の編集者である社団法人日本建築学会の学術用語標準化委員会委員長から「『ケミカルアンカー』は被告の商標であり、第2刷の際には、しかるべく対処する」旨の回答(案)が示されていること(審判乙第6号証。本訴甲第18号証)をも併せて考慮すると、原告の主張は採用することができない。
(6) また、原告は、被告が本件商標を使用する商品のほとんどは「管状レジンカプセル」についてのものではなく「管状ガラスカプセル」についてのものであって本件商標に係る指定商品と同一のものではなく、しかも、これらの商品について使用する「ケミカルアンカー」の語が登録商標(登録第1293601号)である旨の虚偽の表示がされているので、使用の事実により識別力が生じるに至ったということはできないと主張するところ、被告の提出する商品のパンフレット類(審判甲第10及び第11号証。本訴甲第11及び第12号証)の記載によれば、ガラス管やプラスチックチューブに充填した種々のタイプのものを区別することなく、これらを「レジンカプセル」と称した上で、これらの商品を総称する商標として「ケミカルアンカー」の語を使用していることが認められるので、本件商標は指定商品について使用しているものといえること、さらに、使用の事実により当該商標に識別力が生じるに至ったかどうかについては、指定商品についての当該商標の実際上の具体的な使用の事実によって判断されるべきものであり、当該商標の使用の際に商標登録の表示が適切にされていたかどうかは、その判断に直接的には影響を及ぼすものではないというべきであることより、原告のこの点についての主張も採用することができない。
(7) したがって、本件商標が、商品の普通名称、商品について慣用されている商標、又は需要者が何人かの業務に係る商品であることを認識することができない商標であるとする原告の主張は理由がないものといわなければならない。
(8) また、原告は、本件商標に係る指定商品は、本来、商品区分第1類に出願すべき「カプセル型の建築構築用の専用接着剤」であるから、本件商標を、これについて使用すると、その商品が現実に有する品質と異なるものであるかのように世人をして誤認させるおそれがあると主張するが、本件商標に係る指定商品は、接着剤をその構成要素に持つものではあるが、化学品たる接着剤そのものではなく、その用途等に照らせば、全体としては建築用又は構築用材料というべきであり、商品の区分第7類に属する商品として取り扱うことに何ら不合理な点はない上に、上述のように、本件商標は、その指定商品について自他商品識別標識としての機能を発揮しているものであるから、本件商標を指定商品について使用しても、登録審決時に、原告が主張するような品質の誤認は生じていないものというべきである。
(9) 以上のとおりであるから、本件商標は、商標法3条1項1号、2号、6号及び同法4条1項16号に違反して登録されたものということができず、同法46条1項の規定により、その登録を無効にすることはできない。
第3 当事者の主張
1 原告主張の審決の取消事由
1-1 審決摘示の双方の審判における主張があったことは認める。審決の判断の(2)については、「被告が『ケミカルアンカー』の語を指定商品について商標として、昭和44年ころから全国各地で使用してきた事実」としたうちの「指定商品について商標として」との認定部分は争い、その余は認める。(3)については、「被告の申入れにより、これらの同業者は、いずれも本件商標の使用を止め」としたうちの「被告の申入れにより」との認定部分は争い、その余は認める。その余の審決の判断はいずれも争う。
1-2 本件商標は、商標法3条1項1号、2号、6号に該当するものであるところ、本件商標が、商品の普通名称、慣用商標、又は需要者が何人かの業務に係る商品であることを認識することができない商標であるとの原告の主張を理由がないとした審決の判断は誤りである。
審決は、判断(4)において、「本件商標は、登録審決時には、被告の指定商品を指すものとして取引者・需要者間に広く認識されており、自他商品識別標識としての機能を発揮しているものというべきであり、同業者間で、指定商品についての一般名称として使用されている事実、又は指定商品を示す表示として慣用的に使用されているという事実も見いだし得ない。」と認定、判断しているが、誤りである。
(1) すなわち、被告は本件商標を本件指定商品である「管状レジンカプセル」に充填したものに使用しているのではなく、本件指定商品と類似関係にある「管状ガラスカプセル」に充填したものについて使用している。また、被告は本件商標を本件指定商品以外、すなわち商品の平成3年改正前の区分第9類の指定商品アンカーについて使用しているから、指定商品以外のものについて本件商標を使用し、識別力が生じたからといって、指定商品についても使用による自他商品識別標識の機能が生じたと認めることはできない。
(2) 本件商標は、辞典にも登載されている普通名称又は慣用商標である。審決は、「建築学用語辞典(日本建築学会編)」については、被告による善処の要請に対して、同辞典の編集者である社団法人日本建築学会の学術用語標準化委員会委員長から「『ケミカルアンカー』は被告の商標であり、第2刷の際には、しかるべく対処する」旨の回答(案)が示されていると認定したが、この認定の証拠とされた甲第18号証はFAXによる回答案であり、社団法人日本建築学会の認印もなく、審決の上記認定は誤りである。上記の甲第18号証のFAXにもかかわらず、平成10年4月10日発行の同辞典の第3刷(甲第23号証)においても、第1刷(甲第6号証)と同様に「ケミカルアンカー」なる語が掲載されているし、甲第18号証を示した社団法人日本建築学会学術用語標準化委員会は、本件商標の登録時に既に「ケミカルアンカー」を学術用語として制定している(甲第25号証)。
(3) 被告は、本件商標が登録されていない昭和58年当時から、カタログに本件商標が登録商標である旨の虚偽の表示を行い(本訴甲第11号証)、また異なる指定商品について原告に対して訴えを起こしている(名古屋地裁一宮支部平成2年(ワ)第273号。本訴甲第9号証)。本件指定商品についても、本件商標が登録商標であると表示していたと疑われる。不正な商標の使用を制限して流通秩序の維持を図る商標法の目的にかんがみても、不正な使用によって得られた識別力を容認する審決の判断は失当であり、本件商標が普通名称や慣用商標などでないとした審決の判断は誤りである。
1-3 本件商標は、商標法4条1項16号に該当するところ、これを否定した審決の判断は誤りである。
審決の判断の趣旨は、本件商標「ケミカルアンカー」には本来「化学的固定具」の語意があり、本件商標の指定商品について使用する場合には、一般的には商品の品質の誤認を生じるが、本件商標が使用された結果、本件商標と指定商品との間に関連性が生じ、商品の品質の誤認は生じなくなったというものと解される。
しかるに、被告が実際に識別力を得るために使用した大部分の商品は「ガラスのカプセル」に充填したものであり、商品の品質の誤認を生じさせるものとなっている。被告は自ら本件指定商品を「……管状レジンカプセルに充填してなる……」と限定したのであるから、その範囲は極めて厳格に理解すべきなのに、被告は、本件商標をその指定商品以外の商品にも広く使用して周知性を得ている。そして、本件商標が使用により周知性を得ているのであれば、本件商標に係る指定商品と同一形態である第9類の指定商品「機械装置、機械要素」についても商標「ケミカルアンカー」が周知となるのは当然のことであり、需要者は同一形態の商品を見て、これが第7類の「建築用構築用専用接着材」なのか第9類の「機械装置、機械要素」なのかを判断できないことから、商品の品質の誤認を生じるのである。
このような事実関係からすると、本件商標をその指定商品に使用したときに、需要者・取引者において商品の品質の誤認が生じるのは必至である。一つの商標が複数の商品について周知となる場合には、複数の商品が共通する商品を指定商品とすべきである。
2 取消事由に対する被告の認否
2-1 審決の認定判断は正当であり、原告主張のような誤りはない。
2-2 前記1-2における原告の主張は争う。本件商標にはもともと自他商品識別力があったものであり、被告は、この点を主張してきたが、使用の事実に基づき自他商品識別力が生じたものであるとの主張はしていない。審決も、使用によって本件商標の識別力が生じたと判断したものではない。
「ケミカルアンカー」を商品名として使用しているのは被告のみである。また、例えば、甲第11号証のカタログでは「ケミカルアンカー」を商品ごとに厳密に区別して用いてはいないが、指定商品について使用していることも事実であり、このような使用態様も広告のデザイン等からよく行われるむしろ一般的な使用方法であり、これをもって自他商品識別力を否定する理由とはならない。
2-3 前記1-3における原告の主張も争う。本件商標「ケミカルアンカー」は機械装置、機械要素について指定商品を惹起するほどに商品識別力を有しているわけではないから、本件指定商品に使用しても商品の品質の誤認を生じることにはならない。また、一つの商標が複数の商品について周知となる場合には、複数の商品が共通する商品を指定商品とすべきであるとの原告の主張には、商標法上の根拠がない。
第4 取消事由に対する当裁判所の判断
1 原告の取消事由1-2について
(1) 審決の判断の(2)のうち、被告が昭和44年ころから「ケミカルアンカー」の語を全国各地で使用してきたとの認定事実、及び、「ケミカルアンカー」と称する商品が被告によって扱われてきたとの認定事実は、原告も認めて争わないところである。そして、右「ケミカルアンカー」の商標が、本件商標の指定商品である「樹脂・硬化促進剤及び骨材等を管状レジンカプセルに充填してなる建築用構築用専用接着材」について使用されてきたことは、審決の理由の要点中、2-3の(2)に示されている資料(甲第2及び第12号証に添付のもの)によって明らかに認められる。
(2) 原告は、被告は本件商標を本件指定商品に使用しているのではなく、本件指定商品と類似関係にある「管状ガラスカプセル」について使用している、また、被告は本件商標を本件指定商品以外、すなわち商品の平成3年改正前の旧区分第9類の指定商品アンカーについて使用しているから、本件商標につき、使用による自他商品識別標識の機能を認めることはできない、と主張する。
しかしながら、原告の主張によっても、本件商標が使用されているのは、被告による本件指定商品と類似関係のある「管状ガラスカプセル」についてであるというのであり、審決が挙げる前記資料によっても、この主張事実を超えて、被告以外の者により本件指定商品に類似関係のある商品について、継続して使用されているとまで認めるべき証拠はない。指定商品と類似関係のある商品に本件商標が使用されていたとしても、本件商標がその指定商品について自他商品識別力を有しないということはできないし、本件商標が指定商品について一般名称として、又は慣用的に使用されているものと認めることもできない。
(3) 原告は、被告が本件商標が登録されていない昭和58年当時から、カタログに本件商標が登録商標である旨の虚偽の表示を行っていると主張し、甲第11号証(カタログ。特にカタログの奥付の日付「S58.10.」参照)によれば、被告の上記主張の事実を認めることができる。しかしながら、上記甲第11号証のカタログが、当時被告と商品販売の提携契約を締結していた原告との共同作成名義のもの(「発売元 原告、製造元 被告」とされている。)であることからすると、当時、原、被告において虚偽の表示を行っているとの認識があり、本件商標の使用を排除する意図があったものと認めることはできないし、被告の上記表示によって、本件商標の自他商品識別力が得られたと認めるべき証拠もない。
なお、原告は、被告が原告に対し本件商標の指定商品とは別の商品について訴えを起こしているとも主張し、不当に本件商標に関する主張をしている旨主張する。しかしながら、指定商品に類似する商品についても商標権侵害は成立する可能性があるから(商標法37条)、原告のこの主張は失当である。
(4) 原告は、審決が、「建築学用語辞典(日本建築学会編)」については、被告による善処の要請に対して、同辞典の編集者である社団法人日本建築学会の学術用語標準化委員会委員長から「『ケミカルアンカー』は被告の商標であり、第2刷の際には、しかるべく対処する」旨の回答(案)が示されていると認定したのは誤りであり、現にその後も変更されていない旨主張する。
しかしながら、甲第18号証、乙第1号証の1ないし3によれば、社団法人日本建築学会の学術用語標準化委員会委員長が、平成8年3月1日に、同法人が編集する「建築学用語辞典」については、「ケミカルアンカーは被告の商標なので、第2刷の際には、被告の意見を聴いた上で印刷を行う」旨の回答案に基づき、これを被告にFAX送信したこと、この回答は被告からの善処の要請に対して行われたことが認められ、同趣旨の審決の認定に誤りはない。なるほど、甲第23号証によれば、平成10年4月10日発行の同辞典の第3刷においても、第1刷(甲第6号証)と同様に「ケミカルアンカー」なる語が掲載されていることが認められ、甲第25号証によれば、社団法人日本建築学会は、平成2年4月、「文部省学術用語集建築学編増訂版」に「ケミカルアンカー」を学術用語として掲載した事実が認められる。しかしながら、後者の学術用語集は、「建築学用語辞典」の編集者と同じ社団法人日本建築学会が掲載したものであって、同用語集が刊行されたのは被告が学術用語標準化委員会委員長に上記の申入れをしたのより以前のことである。また、一般に書物につき版を改める際にはその内容を見直すことが行われるが、増刷する際には明らかな誤記の訂正にとどめることが多いことは一般に知られていることである。これらのことに、上記FAX送信後上記建築学用語辞典第3刷発行までの間に、上記社団法人が被告とどのように折衝したのかは明らかでないこと、そして、同じ社団法人が編集掲載した上記辞典と用語集以外に、業界で「ケミカルアンカー」の語が商品の一般名称ないし標章として広く使用されてきたことを認めるべき証拠はないことにかんがみれば、上記第3刷発行の事実及び学術用語集における掲載の事実をもってしても、同業者間で本件商標の指定商品について「ケミカルアンカー」の語が一般名称として使用されてきた事実、又は指定商品を示す表示として慣用的に使用されてきた事実を認めることはできない。
(5) 原告は、上記の各主張事実を前提にして、不正な使用によって得られた識別力を容認する審決の判断は失当であると主張するが、上記主張事実はいずれも採用することができないので、原告の上記主張も理由がない。
2 原告の主張1-3について
(1) 「ケミカルアンカー」の語が本件商標の指定商品について一般名称として使用されてきた事実を認めることができないのは、前記1で判断したとおりであり、この事実を前提にして原告がする審決の判断の理解は失当である。
(2) 原告の主張1-3は、一つの商標が異なる複数の商品について周知となる場合には商品の品質の誤認を生じるので、例えば複数の商品が共通する商品を指定商品とすべきであり、したがって、本件商標が商標法4条1項16号に該当しないとする審決は誤りであるというものである。原告は、被告が本件商標をカプセル型アンカーボルト用無機接着剤、ALC用カプセル型アンカボルト用接着剤、土木建築用二液性固着剤(エポキシボンド)、石灰製建築又は構築専用材料、パテ、及び建造物組立セットにも使用していると主張し、確かに、甲第2号証の資料174号、175号、177号及び甲第24号証によれば、原告主張の上記事実が認められるところである。
原告は、これらの事実からすると、本件商標が複数の商品について周知となっていて、需要者・取引者において商品の品質の誤認が生じると主張する。しかし、上記各証拠によっても、本件商標の指定商品以外の商品について、本件商標が一般的に使用されてきた結果周知になっていたことを認めるに足りないし、他にそのような事実を認めるべき証拠もない。したがって、上記認定の事実から、本件商標が商品の品質の誤認を生じさせるものであるとまで認めることはできない。
(3) よって、本件商標は商標法4条1項16号に違反して登録されたとする原告の主張は理由がなく、本件商標は、その指定商品について自他商品識別標識としての機能を有していたものであるから、本件商標を指定商品について使用しても、登録審決時に、原告が主張するような品質の誤認は生じていないとした審決の判断に誤りはない。
第5 結論
以上のとおりであり、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
(平成10年10月13日口頭弁論終結)
(裁判長裁判官 永井紀昭 裁判官 塩月秀平 裁判官 市川正巳)